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Tag: 商都テュパン

0008-02 (0017)

「ん~、小鬼狩りでいいよね」
「そうだな、小鬼狩りで」

 結果の報告がてら寄った公社でもう一度同じ依頼を引き受けた。出立は前回(というか今日)と同じく、翌日の朝イチ。チャクは「今度こそ的にならない」と意気込んでいるが、口を噤ませてもらった。
「どうするんだ、その爪とかなんとかは、市場に流しに行くのか」
「ん、そのうちね。出品者よりはまず、落札者になりたいかなあ。まだぼく、ちゃんとした装備買ってないし。商店でも巡ってこようかと思うよ。ユキヤくんはどうする?」
「防具を見に市場に行く。暫くはあの革鎧でなんとかなるだろうが、魔法を使う様な相手だと心許なそうだ」
「あ~、最終試験とかね~」
 ぶらぶらと周囲の店を見て回った後、入札棟でひとまずチャクと別れた。商店で物を買うよりは、市場の中古品でも狙った方が(勿論時間は掛かる。何せ最長10時間だ)俺の懐具合には良さそうだ。

0009-01 (0018)

「おかしいって!」
 今日見つけた小鬼は、昨日と同じく4体。それを昨日よりも早いスピードで伸す事が出来た。が、その前後は昨日と同様の事態であった。つまり。
「なんでぼくばっかり狙われるの~!?」
 ありえない、とぶつぶつ云うチャクに、一応心の隅で謝ってから、取得物の検分を始める。
 今日の獲物になりそうなのはゴブリンの持っていた両手剣(昨日の物とは形が少し違う)と、それと一緒に腰に差していた木材。どうやらなんとかいう多少著名な木を切り出した物の様だった(昨日公社で、この木材の様に「原材料」として売れそうな物の一覧を貰ってきていた。でなけりゃ素人には全く判らない)。
「まぁ、あれだ」
 そろそろ何も云わずにいるというわけにも行かないだろう。適当な理由を見繕った。
「そのひらひらしたローブが、俺のより目立っただけじゃないか?」
「そりゃ、ユキヤくんみたいな黒でぴっちりしたのよりは、ちょっとくらい目立つと思うけどさあ~…」
「それで十分なんだろう」
 足を使うタイプである(俺の様な)戦法の奴に、チャクの様な服装は(当然ながら)合わない。足でも絡めて自ら転けるのがオチだ。一方のチャクは、締め付けを出来る限り失くしたタイプの、緩やかなローブを纏っている(魔術師系メイジにはこの手合いが多い)。しかも色は淡い紫。この森の中では目立つなという方が間違っている。
 勿論、俺の所作がもたらしている事実については、全く目を瞑った状態での感想だが。

0009-02

 テュパンに戻ってきてからも、チャクは時折「納得いかないよな~」と呟いていたが、ふと「そういえばそろそろ上位になれないかな」と漏らした。
「一応調べてみて、それでなれそうだったら、養成所行かない?」
「そうだな。じゃあ…」待ち合わせの場所と時間を決めようとして、魔術師ギルドの位置や、時間的にどの位掛かるのかという事を把握してない事に気付いた。「別にいいか、適当に宿で。遅くとも晩飯前までには戻れるだろう」
 時間が早ければ、そのまま養成所に行こう。俺の言葉に、チャクは首肯した。
「ん。それじゃ~ぼくあっちだから」

「おめでとうございます。クラスレベルアップですね」
 窓口の女性ににこやかにそう告げられ、逆に俺は眉根を若干寄せた。
 ギルドに“準備”されているクラスは数多い。基本的な4ギルドに限っても、下位・中位・上位合わせて1ギルドに1+4+8=13クラス、つまり全部で52クラス。これだけでも数多いと思えるのに、その上商人ギルドはあるし鍛冶師ギルドはあるし調教師ギルドもある。果ては、ギルドと関係ない特殊クラスなんてのも有るらしい。そこまで考えるとやってられん度も一塩だ。
 となると、トントン拍子にクラスが上がらないと、色々なクラスに挑戦出来ない。それは判る。判るのだが、「そのクラスで学んだ事が本当に身についているのか」という実感は、その速度と反比例して薄くなる。
 魔術師ギルドや預言者ギルド(端的に言うとメイジとクレリック)達であれば、その実感は多分、自身が扱える魔術なり神蹟が増えていく事なのだろうと思う。しかし俺達の様な肉弾戦系の場合、自身で掴んだイメージこそが技に繋がるから、基本、その種別に大した差違はない。確かに、手段としての手数はそれなりに増えてはいるが。
 ともあれ、新規クラス登録を無事に済ませ、講習を受けた。上位クラスは“ニンジャマスター”。……今までのクラスとの違いが、見事なまでによく判らない。下手したら「(一応)上位になった」という意識だけの差違なんじゃないだろうか。

 宿に戻る途中で、入札していた商品が無事競り落とせていたので受け取って行った。炎の魔法により耐性のあるらしいローブ。まぁ炎の魔法はむしろ向こうメイアへ掛けて貰いたい魔法だが、それでもゴブリンから拾った鎧よりは魔法耐性に優れるだろう。
 試験を受けてから3日(そう、色々有った気もするが、まだ3日しか経っていない)。あれから、俺は少しでも成長出来ているのだろうか。少なくとも、クラスはムダにひとつ上がったが。

0009-03 (0019)

「あの人は、あの白い上衣で自己調節でもしてるのか」
 テュパンで夜食用に保存食紛いの物を買ってから出立、途中それを歩き食いなどしながら、日付が変わる前に無事養成所に着いた。そのまま受付で最終試験の申し込みをしたのだが、やはりそこで見たメイアは“良く云えば落ち着いた”雰囲気を醸す女性であり、肌をヒリつかせる様な気配を纏う風には微塵も感じられなかった。喋りも見事に吃っていたし。
「それとも、あの受付に座ってるとああなるのか。講師を捜して走り回っている時には、今の彼女と同じだったしな。とするとわざとカモフラージュでもしてるのか?」
「んまぁ、別にそれはどうでもいいじゃん」走る俺の思考を、チャクがあっさりと断ち切った。「それより、明日誰を選ぶ?」
 チャクはパラディンを選び、合格していた。対空技が効いたのと、やはり一撃で潰される耐久力じゃなかった事が勝因だろう。
「ユキヤくんは魔術師を選んだんだよね。じゃあいっそ、全然別の人にしてみる?」
「ムダだろうな。残りは力押しと、トラップを張るタイプの人間だ。前者じゃどこまでダメージを入れられるか判らないし、後者は相手が浮いている以上全く意味がない。俺もパラディンとウィザードの2択までは行ったんだが、そこで打たれ強さを考えなかった」
「ん~、ユキヤくん自体こう、攻撃は最大の防御って考えるところあるでしょう。だからじゃない?」
「…かもな」
 痛いところを突かれた。昔からそうなのだが、どうも俺は“突っ走った方が早い”と考えるタイプの人間だ。周囲から再三注意されたのだが、ちっとも治りはしなかった。もっとも、俺に治す気も無かった訳だが。
「とりあえず、手堅く行こう。それでダメならまた考えるさ」
「また?」
 せっかく来たんだ、二連チャンだろうが三連チャンだろうが悪くない。勿論、出来ればそうはなりたくないが。

0010-01 (0020)

「確かそちらの方は合格されていたと思いますけれども、宜しいのですか?」
 やはりこの白い上衣が決め手なのだろうか。メイアは、受付で見せた吃りなどどこへやら、淡々と喋る。
 養成所の中庭。今日も陽光は緩く差し込み辺りを照らす。
「んと、ぼくは付き添いなので~」
「でも、試験は受けられるのでしょう?」
「そうですねぇ。いちおう。付き添いなので」
 付き添い付き添いと煩い。確かに再戦を頼んだのは俺だが、嫌なら嫌で部屋で待っていてくれても全く構わなかったのだが。
 こほんとひとつ咳払いをしてから、メイアは続けた。
「では、以前にも行った話ですけれども、最終試験について、再度ご説明させて戴きます──」

「例えば、パラディンでダメだったら次ウィザードにする?」
「パラディンでの結果次第だろうな。“運が悪かった”って事もあるかもしれない。ウィザードが一撃でやられたのと同様に」
 助力者の待つ部屋に向かいながら、チャクと軽く打ち合わせる。
「だが」
 扉の前で、姿勢を正す。
「お前は実際それで成功してるんだ。なら成功した方を採るのは当然だろう」
「まぁそうだね。それじゃ~お願いしましょうか~」
 ノックを、ひとつ。

0010-02 (0021)

 陽光は、やわやわと室内に潜り込む。細く開けた窓から入る風が、レース地のカーテンを揺らす。穏やかとしか云いようがない一時。
 それを破ったのは、慌てた様に布団をまくり上げた衣擦れの音と。
「えっ、あれっ、んんんっ!? ぼく何してるのっ!?」
 半ば裏返り掛かった叫び声だった。
「気付いたか」
 読みかけの本(適当に手に取った、室内の本棚に有った架空の旅情日誌物だ)を閉じ、挙動不審に辺りを見回すチャクに顔を向ける。そのチャクはといえば、窓から見える景色が中庭である事を認識し──そういえばこいつも以前この部屋に運ばれているのだろう──目に見えてがくりと肩を落とした。
「つまり、ぼくはまた一人気絶して合格したんだ」
「そうなるな」
 ああ~と空気が抜けていく様な声を出しながら、チャクは前方にへなへなと潰れた。

 今回の壁(語弊はあるが、多分この云い回しが正しいんだろうな)は、チャクだけではなかった筈だった。そう、助力者たる人間がいたのだから。俺の様に、敵の視界を考えながらの移動をしている様には思えない動きをするパラディン。つまり普通に標的となる条件としては、十二分にあったのだ。
 となると、チャクが今回(相も変わらず)狙われ続けたのはやはり、この男が相手の集中を集めるオーラか何かでも出しているのじゃないだろうか。俺が相手の対象になり辛かったとはいえ、確率的にダメージを受けるのは(相手が単体攻撃のみとして)1/2、それが都合4回で4連続。……多分、俺の所為だけじゃないと思うのだが。少なくとも、全面的にではないと思う。
 それでもチャクはかなり耐えた。勿論、一撃で吹き飛ばされそうな魔法を彼女があまり使わなかったのも理由の一端だろう。というか、攻撃手段としての魔法を今回は1度しか見なかった。1回は補助魔法、後は(信じられない事に)素手格闘だ。成程、運も実力のうちとはよく云ったものだが、なんだ、彼女は己の行動をくじ引きででも決めなければならない何かでもあるのか。
 ともあれ結果、一度チャクを庇ったパラディンが少量のダメージを負った物の、俺は全くの無傷、チャクだけが上衣に見事なかぎ裂きを作る結果となったのだ。

 ──という経過を簡単にまとめてみせてから(勿論自分の都合に悪いところは省いた)結果を続けた。
「最後、チャクが吹き飛ばされたのと、メイアがパラディンからの衝撃波(ソニックブーム)を喰らってたのが、ほぼ同時だ」
「なんだ~。だったら、もうちょっと後にするか先にするかしてくれれば良かったのに~」
 チャクはベッドの上で足をばたつかせ暴れる。…お前は年端のいかない子供か。
「どうする? とりあえず俺の目的は果たした。お前も別に合格を取消されたとかって事もないが…」
「ん。ここに居ても仕方ないし。1日潰れるのはやっぱり勿体ないし。テュパンに戻るよ。それに」えへん。と偉そうなわざとらしい咳払いひとつ。「元々僕がここに来たのは」
「……わざわざすまなかったな、“付き添い”頼んで」
「いえいえ、どう致しまして」
 ひょっとして、俺がこいつを壁にしている分、こういう辺りで釣り合いが取れてるんじゃないか?
 免罪符には欠片もならない様な事を浮かべながら、退室の手続きの為に部屋を出た。

0011-01 (0022)

 今後の方針をどうするか。昨夜、宿へ戻ってきた俺達は、まずそこを相談した。
 つまり当面の目標というやつが、俺達には皆無なのだ。俺は何の当てもなくこの地へやって来たし、聞けばチャクも似た様なものだという。
「んん~、とりあえず、冒険者としての経験でも積もうか」
 その言に頷き、こうして今また、斡旋公社へやってきたというわけだが。
「大別して、護衛か狩りかだな。後は金持ちの道楽っぽいのが何点か」
「護衛って対象の街とかで別れるわけでしょ? 変に遠出する前に、暫くテュパンを基点にして、地理情報なんか集めながら~っていうのがいいんじゃないかな」
 手分けして、掲示板を埋め尽くす依頼群をざっと流し見た。一番目に止まるのは、やはり近隣の魔獣狩りや討伐隊のメンバー募集というもの。次いで、街から街へと移動する商隊の護衛要求。後は純粋な肉体労働(例えば荷運び)やら、ちょっとした屋敷の警備の様なもの等がぱらぱらと有る。
「腕試し兼ねて、ひとまず対魔獣系をこなすか。C難度くらいなら何とかなるだろ」
 依頼が書かれた用紙には、大きな判でBだのCだのと捺されている。公社が算出した推定難易度だ。自身の力量や冒険者としての経歴等を比較しながら検討出来る様にとの配慮なのだろうが、実のところその難易度というものがどういう基準で出されているのかは、明らかにされていない(例えば単純に体力的であるとか程度でも明文化してくれればいいんだが)。そこからは、依頼内容から出来るだけの情報を取得して、自己算出する必要がある。勿論、自衛の為に。
 取捨選択の後、上がったのは海蚊退治と“モルド”と呼ばれる化物の退治。二つを比較すると、前者は安い(75リーミル)が期間が短く、後者は高い(100リーミル)が拘束も長い。だが、前者の難度はBだが、後者はC。
 となると、駆け出し者としては当然──
「んじゃ~、蚊だよね、蚊。すいませ~ん、申し込みしま~す~」
 ……チャク。お前も、防御より攻撃を重視するタイプだな。

0011-02 (0023)

「海は広いぞでっかいぞ~行ってみたいぜ余所の国~」
「お前が十分余所者だろうが」
「ユキヤくんもね」
 テュパンの南側は、全て沿岸部に面している。その長い海岸線の1つ、“マルケラ海岸”と名付けられた辺りが、この依頼の目的地だった。
 潮流の関係で、このマルケラ海岸には様々な漂流物が流れ着くのだそうだ。勿論大半は役に立たないゴミだが、時折、珍品の類も見られるという。
「んで、なんだっけ。蚊を退治して証拠見せればいいんだよね?」
 チャクの言葉に、依頼書を取出し詳細情報を再確認する。
「正確には“巨大蚊”だな。どの位デカいのか、サイズまでは書いてないが」
「……んん?」
 前を行くチャクが止まったので、俺も自然、足を止めた。
「どうし…」
 云いかけて気付いた。右斜め前方、海岸線の奥。沖の方から、なにやら靄の様な塊が、こちらへとやってくる。
 いや、靄じゃない。それは多分、小さな物体の寄せ集まりだ。靄だと認識したのは、その集団を透かして向こうが見えるからで、かつ、奥の風景が何故かぼやけて見えたからだった。
「ぅゎっ、ちょっ、ぼく、依頼やめたくなってきた」
 選んだのはお前だ。しかし、口にしたのは別の言葉。
「そう思って気分がくじける前に、一息に焼き払ってくれ」
 ぽんと肩を叩いてから、俺はチャクから数歩下がった。
 慌てて印を作り出すチャクの向こうには、ぶーんと羽音響かせやってくる、海蚊の群れ。

「ああ~、さっきの見た? 微妙に焼け残ったのがぼたぼたぼたって。う~、んも今日夢に出そう」
 なんで全部灰になってくれないかなぁと、チャクはぶつぶつと零す。
 火の精霊(サラマンダー)の助力により、蚊の集団は屠られた。やはりこういう時に魔法は便利だと思う。あんなのをいちいち潰していくのは、それは面倒そうだ。
 対象の巨大蚊はまだ現れない。先鋒(?)としてやってきた通常サイズを焼き払った場所から十数メートル離れ(チャクのたっての希望だ)、俺達は砂浜に腰を下ろしていた。
「お前悪魔が見たいとかなんとか云う割に、ああいうのはダメなのか」
「だってあれムシだよ。ムシ。ぞわぞわするんだよ? おっきいのは別にこう細部がズームされる位だからむしろ見て面白そうだしいいけどさ、ちいさいのが集団なんてこう、ああ~、ぼくもう考えない」
 …人の好みは千差万別というが、それは単純なサイズ比較という条件にも当てはまるのだろうか。
「ユキヤくんああいうの全然平気なわけ? んも信じられないね。真っ当な人間?」
 なんて言い草だ。さすがに俺もカチンと来る。
「じゃあ訊くが、現れる個体数が同じとして、小さいゴキブリと大きいゴキブリとなら」
「うーわー聞かない聞かない聞かない。んも何その最悪の選択肢」
 チャクは両手で耳をぎゅっと塞いでから、大層恨めしげな目で俺を睨む。
「デカけりゃ見て面白いとか云ったのお前だろうが。たかがサイズの問題で嫌悪感に天地程の差が出るわけがないって辺りの確認をだな」
「じゃあユキヤくんはどっちがいいのさ」
「両方とも嫌に決まってるだろう。真っ当な人間だからな」
「んじゃアレとさっきの小さいの比較してみなよ!」
「…アレ?」
 びしりとチャクが指差した先には沖。そしてそこには、海上を浮遊する、遠近法を無視した様な、数体の。
「…………まぁ、嫌悪感よりは、驚きと呆れの方がデカいな」
「ほら見なよ!」
 喜んでる場合か。
 今回のターゲットである“巨大蚊”は、(その名に恥じぬ様な)直径数メートルと思われる巨体を、浮揚(ホバリング)から水平移動に変えた。

「2回も刺された!!」
 数体の集団からやって来た1体(多分斥候の役目だったんだろう)を伸している間に、他の巨大蚊には逃げられた様だった。依頼の元々の理由が「下手に繁殖されると面倒(この巨大蚊(ハイモスキート)も《虹色の夜》以降の産物だ)」というものであるから、殲滅出来れば良かったのかも知れない。しかし、依頼の達成条件としてそれが含まれていない以上、報酬等はしっかり払われるだろう。
「痒みが出てるなら海水にでも浸けたらどうだ?」
 因みに先程の叫びは勿論チャクの物だ。あいつは相変わらず向かってくる奴等の良い的になっている。
「今んとこ痒くはないけど、でも針がぶっといから絶対変な痕になるよこれ。ああもう、だからムシってヤなんだ」
 だからここに来るのを選んだのはお前で、さっきはデカいと楽しいとかなんとか云ってなかったか?
 勿論それは口には出さず、代わりに「その針、退治の証拠で持っていくから蚊から抜いてくれ」という台詞を口に乗せた。

0012-01

 涙が止まらない。
 泣こうとしている訳ではない。泣きたかった訳でもない。哀しい事も嬉しい事も無かった。それでも勝手に溢れてくる。喉は引き攣るしこめかみは痛むし鼻の奥が鳴る。
 涙が、止まらない。

 ──という、夢を、見た。

 上半身をベッドから起こした状態で茫とする。なんだ、今のは。頭を振ってから喉に手をやる。痛みは無い。夢につられて現実で泣き倒していたりはしていなかった様だ。
 漠然としたイメージだけが残っていて、その結果に至る理由ともいうべき部分が見事なまでに欠落している。なんともいえない後味の悪さ。そもそも夢で「泣いていた」のが「俺」なのかどうかもよく判らない。…なんなんだ、本当に。
 隣のベッドでは、チャクが相変わらず本にまみれて眠っていた。こいつはどうやら、就寝前に色んな活字を読み倒さなければ生きていけないらしい(まだ確認は取っていないが)。その対象は別に魔術書の類でなければならないという事はなく、単純な活字中毒の様だ。例えば俺が実家から持ってきていた何冊かの小説や、知らぬ間に荷物に入れられていたらしい冊子やなんか(恐らく家人が嫌がらせに入れたのだと思う)も、とうに餌食となっていた。今頃は奴のハードカバーの間にでも挟まっているのだろう。俺の本は元々読み倒しすぎていた本ではあったから手元にないこと自体は別に構いはしないのだが、あの扱いを見ると少々惜しい事をした気がしないでもない。
 顔、洗おう。出来ればシャワーが良いがそれは無理か。
 ベッドから這い出て、共有洗面所へと向かった。冒険者専用の木賃宿は、宿代が格安な分、そういった住みやすさ(アメニティ)部分については、制限が多いのだ。

「今日はどうしようか。んでも今日って云うか、今後かなぁ。昨日晩ご飯の時にさ、廻りのひとが喋ってんの聞いたんだけどね」
 ボンゴレの皿をつっつきつっつきチャクが云う。木賃宿でも基本的な朝飯を食う事は出来る(昼・夜は無い)が、俺達はいつも外に出て食べていた。勿論その方が旨いからというのもあるが、半ば観光も兼ねている。今日の様に屋根を構えた店に入る事もあれば、屋台で済ます事もある。
 一旦紅茶をひとくち啜り、チャクは喋々を再開した。
「テュパンってやっぱり人の流れが多いからなのか、辺りに出てくる亜獣もそんなに強くないらしいんだよね。んとねぇ、こう、他の勢力に負けてやってきたのが、この辺ならだいじょぶかな~みたいな感じで集まってるんじゃとかって云ってたけど」
「誰が?」
「近くでお酒飲んでたひとたち。けっこ色んなとこ行ってるっぽくてねぇ、どこどこがああであれそれがどうでって話をすごく自慢気にしてたんだ。またでっかい声で。多分いっしょにいた女の人口説いてたんじゃない? そんな血生臭い話で口説こうっていうのもなんかおかしいよねぇ」
「そういうのに酔う女が居てもおかしくはないが」
 云いながら、チャクの皿からボンゴレを少し拝借した。…この店、ドリア(俺が頼んだ)はいまいちだがパスタは旨い。次からはそっち側だな。
「ええ~。ぼくだったらやっぱりこうどんな凄いのを召喚したかっていうような」
 どっちもどっちだ。
「…で、チャクとしては余所で腕試しがしたいって事か?」
「うん。もうちょっとテュパンに居ても良いかなあと思ってたんだけど、そういう話聞いちゃうとどの位違うのか、ガゼン興味が湧いてくるよね」
 同意を求められても、俺には取り敢えずそんな欲望は沸かないんだが。
「まぁ、それじゃ今日もう一度何か依頼でもこなして…そうしたら、テュパンを起つか」
「そうだね。そうしようか。んじゃさっきのボンゴレの分、ぼくにもドリア頂戴?」

0012-02 (0024)

「まだ昨日のモルド狩りが残ってるな」
 掲示板に貼り付けられているメモを取ろうとした俺の腕を、チャクがはっしと止めた。
「…なんだ」
「その“モルド”ってなに?」
 成程、昨日の蚊で懲りたのか。
 メモを取って、内容に目をやる。これには勿論、あまり詳細な情報までは書かれていないが。
「このメモ書きを信じるなら、“テュパン東で数を増やしつつある化物”らしいな。虫の類かはどうかまでは判らない。──ん、これ討伐隊ってことは、集団行動か? 依頼主も五王朝の士団なのか。…面倒そうだな」
「んんんん~」
 長考に入ったらしいチャクに、確認を取る。
「どうする? どうやら集団行動らしいから、お前いつものように好き勝手は出来なさそうだが」
「ひどいなぁ~。ぼくだってやんなきゃなんないときくらいちゃんとするよ。…でもねぇ」
 どうやらよほど蚊の悪夢は奴にとって厳しかったらしい。少し、助け船を出すか。
「昨日の蚊の様に簡単に形状を分類出来るのなら、“化物”とは書かないんじゃないか」
 俺の勝手な推測だが。付け加えた言葉を聞いていたのか否か、チャクはぱあっと喜色を浮かべた。
「そぉうだよね! ん! ユキヤくんいいこと云うなぁ! じゃあぼく申し込んじゃってこようかなっ」
 俺の手からメモを奪って、受付へと勝手に向かうチャク。現金な。
 例えば、化物の脚だけが節足動物のそれだとか、小さいサイズで群れて現れるとかってこともあり得ない話じゃないだろうが、いちいち水を差す必要もないだろう。せっかく乗り気になったんだ。利用させて貰った方がいい。
 ……奴と付き合い初めてからこっち、段々腹黒くなってないか、俺。

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