ほっとしましょう
玄関開けたら二秒で二志。
コンビニの袋を提げて帰宅した俺の目に飛び込んできたのは、律儀に揃えられた誰かの靴だった。
そりゃあ、驚くだろう。
で、何故か俺の部屋で酒を飲んでる二志先生を見つけるに至る。その間、二秒。
「な、にしてんの」
「おかえり」
「ただいま……いや、なにしてんの」
「晩酌」
二志の顔を見るのは久しぶりだった。アホのように忙しいらしいし、俺も前に比べれば暇を持て余してばかりでもない。
「それでなんでうちにいるわけ」
おかしい。おかしい。ここは俺んち、じゃなくてひょっとして間違って自分の家に帰るつもりで二志の家に辿り着いてたり?次元の穴とか知らずに潜ったのか俺。
「いやいやいや!馬鹿な!」
自分に突っ込む俺を二志が不思議そうに見上げた。
自分の部屋で突っ立っているのも馬鹿らしいので、上着を脱いでベッドに座る。
「空き巣かと思った」
「どうせ金目のものなんか皆無だろ。空き巣だってここは避けて通る」
ひどいことを言いながらコップに焼酎を手酌して、一升瓶を俺の方に向ける。
「もらうわ」
受け取ったはいいけどちょうど手に届く範囲に容器になりそうなものがない。面倒でそのまま口をつけた。
「――」
きついアルコールが喉を焼き払う感覚に目を細める。
水か何かないとちょっと辛いかもしれない。
暫く待ってみても、二志は俺がつけたテレビの画面に視線をやったまま黙っていた。
「なぁ、なんか用だったの?連絡くれれば飯の用意したのに」
空になった二志のコップに身を乗り出して注ぎながら俺が言うと、二志の眉が顰められる。
「メールも電話も通じなかったが。……お前、携帯料金払わないで止められてんだろうが」
「――え。ウソ!」
言われてみれば最近電話がかかってこないと思っていた。自分からはほとんどかけないから気付かなかった。
呻きながら携帯を取り出す。弄ってみると、確かに発信できなくなっていた。
「ぅわー。俺ってば――」
「底辺の駄目人間」
「ぐ」
俯いてマットレス上に正座する。
「ごめんなさい」
「日ごろの健全な生活態度がしのばれますね」
「面目ない」
俺は墜落するように頭を下げた。
「……で、なんか用あったの?」
アルコールの高い原液に苦戦しながら顔を上げると、二志のさして酔ってもなさそうな涼しげな顔と目が合う。
「別に」
「ふぅん」
「……」
「元気?」
「あ?」
「こないださ、十一に心配されてた」
不機嫌方向に傾きそうだったので、矛先を十一に逸らしてみながら二志の薄い皮に覆われた指を見た。
「にっしーが顔色悪いのよって」
「……てめぇの心配でもしてろっつっとけ」
声が明らかに怒っている。
予想通りの反応に思わず笑った。
「言うと思った」
「当たり前だ。人にお節介やける身分か」
実も蓋もないけどごもっともな意見だ。
二志はたぶん、無茶しても体壊すような羽目にならないようにうまく渡っていけるんだろう。処理能力の違いってやつ?
ちょっと切ないことを考えて、俺は焼酎の瓶をコタツの上に戻す。買ってきたまま放り出してあったコンビニ袋に、つまみになりそうなものが入っていたのを思い出した。
立ったついでに冷蔵庫から氷を出して、ペラペラのビニール袋に手を突っ込む。小さな缶を取り出してラベルを眺めた。
「ストレス社会で闘うあなたに」
読み上げると二志が頬杖をついた腕を外した。
「またアホなものか」
「アホかは知らんけど。高ギャバチョコレート」
メンタルバランスを整えるとかなんとかいう成分が多いらしい。バイト先でもらったのを食ったらなんとなくほっとしたような気がしたから、店で見かけて買ってみたのだ。
「流行じゃん?」
「ミーハー」
言いながらもしっかり成分表を確認している。
真面目な横顔がエロい。とか唐突に関係ないことを思ったりしながらコップに氷を投げ入れていると、二志は缶を開けて中の丸い粒をつまみ出した。
「普通にチョコだな」
呟くようにする。そして差し出した俺の手のひらにチョコレートを数粒出した。
「二志センセ、これ効きますか」
「……GABAには確かに精神をリラックスさせる作用がある」
「へぇえ」
コロコロと手の中で転がるチョコを眺めると、一粒取って高く放り投げた。うまく口でキャッチする。
「いいねーチョコも進歩したもんだねー」
「ストレスがあるのか」
興味なさそうに言って二志が俺を見た。つまんだチョコを唇に押し込むようにして指先を舐める。ェロー。
「そりゃあ、ヒトナミに?」
「ほぉ」
「チョコにでも縋りたい気分になることだってございますのことよ」
もう一粒、一粒と宙に飛ばす。一つは鼻に当たって落ちたがもう一つは受け止めた。
「これ一缶食うより効率いいもんがあるぞ」
「……あ?」
転がったチョコを探していた俺の顔の前に、白い錠剤が二列に並んだパッケージが差し出される。
目を寄せて凝視すると、それをコタツの上に投げ出して二志はまたコップを口に運ぶ。
「なになに」
プラスチックとアルミに包まれた小さな白い粒。いわゆる薬だということまでしか当然ながら俺にはわからない。いくつかは飲んだ後らしくなくなっていて、そこに開いた穴をなんとなくなぞってみた。
「なんてクスリ?」
「デパス」
「………ってなに?」
「わからないなら聞くな」
「わかるようにプリーズ」
「商品名デパス。一般名エチゾラム」
俺に見せたことを後悔してるんだろうか。珍しく複雑な表情だった。
「わかるようにプリーズ?」
「チエノジアゼピン系のマイナートランキライザー。作用はベンゾジアゼピン系と似たようなもん」
「……日本語で喋って」
「だから、GABAチョコを超強力にしたような効果」
超強力にほっとする薬ってことか。
俺は首を傾げた。
「これ、二志のなん?」
俺のじゃないんだから二志に決まってるよな。二志が出したんだし。
「――」
無言の二志の頸の線は、やっぱりちょっと細いと思った。
「二志センセ、これ効きますか?」
「そりゃあな」
ほぇーとか気の抜けた相槌を返して、その小さい粒を指で押してみる。
「試したいならやる」
「マジ?……いいの?」
「酒飲んだから今はやめといたほうがいい」
そうじゃないけど。通じてませんけど。
「お前のじゃん」
「だからやるって」
必要だから持ってたんじゃないの。そんなあっさり人にあげちゃっていいの。ていうかいいのこういうもの人にあげて。
「副作用とかねぇの」
窺うように聞いてみると、ゆるく首を振る。
「風邪薬よかよっぽど安全」
「……ふーん」
気怠げにコップの縁を撫でながら、二志が緩慢に瞬きをした。
突然の訪問とか、眠そうな顔とか、ちらちら覗かせる弱った雰囲気とか。そういうことの意味を考えようとして、けどたぶん二志はそんなんを俺に望んではいないと思う。
難しい顔で薬を見つめる俺に、二志は息を抜くように少しだけ笑った。
「やっぱ俺、チョコで十分だわ」
「そうか」
「うん。チョコでいいや」
「そうだな」
いらない、と返すにも二志に渡すのは躊躇って、焼酎の瓶の横にそれを置く。
氷で薄まってきた自分のコップを持って、それを流し込んだ。
つまみに丸い粒のチョコレートを噛む。少しキャラメルに似た弾力があって、虫歯になっちゃうかもと思った。
「効いてる効いてる」
大仰にため息をついて全身でリラックスを表現する。
「……俺ガキん頃熱出したらさ、特効薬だっつって苦い薬飲まされてたんだよな。その頃はそれで本当に熱下がってたんだけど――デカくなってから、アレって正露丸じゃね?と気付いた」
「………」
「なんか今、思い出した」
「流されやすい脳味噌はガキの頃からか」
感嘆したように呟かれる。ちょっと傷ついた。
チョコの効能についてとか、当たり障りのない近況とか、下らないゴシップとか、ボソボソと喋りながらしばらく飲んた。
二志のテンポはいつもより少しだけ鈍くて、俺も酔うと頭の呂律が回らなくなって、互いに上滑る会話の感触が面白かった。
俺がトイレから戻ると、立ち上がった二志が上着を着ていた。
「帰るわ」
「あ?泊まってかねぇの」
「明日早ぇし」
あっさり言って玄関に向かってくる。トイレの前で俺が道を塞いでるので、立ち止まった二志と向かい合う形になった。
「大変なのね」
「別に。そこそこ」
「そっか」
譲るように壁に寄りかかって顎を引く。ぐらぐらと雲の上に立っているような不安定感。
「じゃ、またな」
「ああ」
「以後、携帯の金は払っときますんで」
「……ああ」
十一譲りのシナを作ってオカマ声を作った。
「連絡待ってるわん」
「キモイ」
二志が笑って、俺の横をすり抜ける。
ヒラヒラ手を振って、別れて、誰もいない部屋に戻った。
酒臭い。
一升瓶の残りがやけに少なくなってて驚いた。俺の感覚だとあんま飲んだ気がしてないんだけど。
コタツの上に、空になったギャバチョコレートの缶が転がっていた。
「ストレス社会で闘うあなたに」
アルコールでおかしくなった顔が勝手ににやける。
少しでも片付けてから寝ようと空き缶を手にゴミ箱を覗いて、そこにアルミのパッケージが無造作に捨てられているのに気付いた。
さっきの薬だ。まだ半分以上残っている錠剤もそのままで、眉を寄せる。
「捨てんのかよ」
勿体ない、と思っても拾う気にはならなくて、その上にチョコの缶を放り込んだ。
二月九日はお肉の日。ですが二月四日の二志の日への追納。
前の「歩く速さ」の後日くらいの感じです。ちょっとチョコチョコ言いすぎですね。二月だからですね。にっしーはチョコとか甘いもの嫌いっぽい気がしますけどね。
二志先生はもっともらしいこと言ってますが書いてる私はテキトーに書いてます。抗不安薬は通常の社会生活でのイライラや軽いストレスに対して無闇に服用するべきものではありません。
でも肩こりにも効くんだよ!にっしー肩こりとか冷え性とかで悩んでそうじゃん!と。 すいません。