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エスケープ

「あ!」の人作成。高校生十一一人称、とまだ友達未満の二志。 体育の時間。 * この十一は闘病期の十一です。

 腹がもやもやする。正直、怠い。
 複数の靴底が床を擦る高い音と、何度も床に弾む激しいボールの音と、誰かの声。
 太郎が跳ぶ。

「じゅーいちぃ~、タラタラしてんなよぉ!」
 野次が飛んできて、俺はそっちの方に投げキッスを飛ばした。
 体育館の照明が目に痛い。
 眩暈がした。

 

 妙に張り切っているどこかの運動馬鹿のせいで、ゲームは無駄に盛り上がっていた。
 おかげで、体育なんて無難に適当にやり過ごしたいという願いもむなしく、さっきから球を追って走り回されている。慢性エネルギー切れの俺としては、ずばりサボるのが良策……のはずなのに、なにやってんだ。
 隙をみて呼吸を整えようにも、立ち止まったと思ったらオレンジ色の塊が飛んで来る。
「十一!」
 受けて反射でターンしようとして、足が見事に絡まった。二本しかないのになんでだ。
「――っち」
 バランスを思いっきり崩しながらサイドライン沿いを走る猿の方に投げる。
 すっぽ抜けたボールをフリスビー犬も真っ青のジャンプキャッチで捉えると、太郎はそのままゴールに突っ込んでいった。
 パスランするには、今の俺にはやる気と体力が絶対的に不足している。靴紐を直すふりでその場にしゃがむと、貧血の頭に酸素が戻ってきて少しは楽な気がした。
「ゃく、終われぇ……」
 いまいち華に欠ける歓声がわいた。

 誰かの声と、目まぐるしく跳ね回るボールの音と、低い耳鳴り。
 リングが揺れる。床も揺れる。


「お前のハニー、グダグダじゃね?」
「あ?ああ……昼休み前でやる気底辺?」
「つかなんかフラフラしてっけど」
「二日酔い?」
「二日酔いかよ。……あ」
「―――十一!」


 10分10分のハーフタイム直前。
 スリーポイントラインのすぐ外で、後ろにジャンプしながらのフェイダウェイシュートを放った相手選手と、ぼさっとその真後ろに立っていた俺が衝突した。
「のぅあ!」
 降って来た衝撃を支えきれずに膝が折れる。
 尻と背中と後頭部と、順番に床に打ち付けて、頭がぐゎんぐゎん鳴った。
 一拍遅れて痛ぇ、と思うのと鋭い笛の音が試合を止めるのが同時だった。

「――――」
 わらわらと集まってくる顔を見上げて、とりあえず笑うしかない。
「いやん。恥ずかちぃから見ないでー」
「……」
 上に乗っかっていた奴が体を起こして、俺はそいつが二志だったことに気付いた。
「あれ?二志いたっけ」
 ゲーム開始の時はメンバーにいなかったような気がする。いつの間にか交代してたらしい。こっちを見た二志に、選手交代に気付かないくらいぼーっとしてたことを冷ややかな無言で詰られる。
「大丈夫かお前ら」
「なんとかそこそこに生きてまーす」
 体育教諭に声をかけられて、両肘を後ろについて起き上がった。受身もクソもなく床にご挨拶した後頭部がけっこうかなり激しく痛い。たんこぶくらいは出来たかも知れない。
 立ち上がると、床に座ったままの二志が俺を見上げた。不機嫌顔とばっちり目が合う。
「な、んでしょう?」
 ちょいちょいと手招かれて腰を屈めると、肘の辺りを掴まれて思い切り引っ張られた。
 踏ん張りのきかない足がよろめくと、力が弱まる。
 眉を寄せて二志を見ると、顔がしかめられた。
「……立ち上がりたいんだが」
「は?……え、どっか怪我した?」
「お前のお蔭でな」
 二志はきっぱりと言い切って、左足首を示す。
「マジ?や、悪ぃ」
「いいから、手貸せ」
 腕を引いて立たせると、しばらく足を曲げてみたり床に付けてみたりして、ため息をついた。
「捻挫か?」
「大したことなさそうですけど、一応保健室行ってきます」
 教諭に聞かれて二志が淡々と頷く。
「よし、じゃお前責任持って連れてけ」
「イェッサ!」
 俺はビシリと敬礼した。


 体育館を出て10メートルばかり進むんだところで、ふいに肩にかかっていた荷重が軽くなった。
 そのままするりと腕が抜かれて、俺は隣の二志を見る。
「もしもし?」
 前を見たまま、二志は捻ったはずの足でスタスタ歩いていく。
「おーい……」
 呼びかけた背中が、少しだけ笑うように揺れた。
 俺はたぶん、変な顔をしていただろう。この優等生とはまだそう長い付き合いでもないが、他人にも自分にも厳しいことだけは知っていた。衝撃だ。
「――騙しやがったわね」
「恩恵に預かっただろ?」
 あっさり言われて肩を竦める。
「インテリヤクザ」
「んだそりゃ」
 汗をかいた肌に廊下の冷たい風が寒かった。ちゃっかりジャージを持ち出していた二志が恨めしい。
「仮病だってばらしちゃおっかなー」
 顔を覗き込むようにすると、顎を上げて口の端を引く。
「ゲームに戻りたいのか?」
「嫌。もう走れない。死んじゃう」
 冗談のように言ったのに、だろうな、と頷かれた。
「あ、れ?俺んなにダルそうだった?」
「思いきり」
「……あー」
 じゃあ、俺がサボりたいとわかって、一人じゃ歩けないふりをしたんだろうか。
「あの、もしや俺に体当たりしたのって……わざとでございますの?」
「ディフェンスしてこねぇから荒業で」
 う、わぁ。故意のファウルを自白しましたよこいつは。
「悪だ!」
「抜けたかったんだろうが」
「まあ、はい」
「………」
 二志は黙って歩いていく。教室に戻るにも、サボタージュの基本たる屋上に向かうにも経由する階段の前をそのまま通り過ぎた。
 ああ言った手前、一応保健室まで行くつもりだろうか。
 俺はじゃあ、と別れるタイミングを失って、無言の二志について歩いた。
 沈黙されると、困る。
 二志と親しくなったのは結構最近、それも大成ごしの接近で。
 実は俺は、二志は少し苦手だった。眼鏡越しの冷たい視線に見透かされているようで、落ち着かない。
「えーと、保健室行くの」
「そうだが」
 返ってきた言葉には、微かに不機嫌な響きが含まれていた。
「じゃ、俺は――」
「お前も来い」
「……それって、誘ってますか?」
「ちょうどよくベッドもあるしな」
「い、いやん」
 それはまだ早いじゃない。まずは清く正しく交換日記から始めましょうよ。
 もじもじする俺をスルーして二志は保健室に入って行く。ついて来いと念を押しはしなかったし、振り返りもしなかった。


 俺は、迷うでもなくしばらく考えると、開けっ放しの扉をくぐる。
 久しぶりに足を踏み入れた保健室の仄かな消毒薬臭に、予想通り、燻っていた吐き気ボルテージが急上昇した。
「――」
 不快な酸味のある唾液を呑み込もうと口元に拳をあてる。
 眇めた眼に、ベッドに潜り込んでカーテンを閉める二志が映った。
 他には誰もいない。
「――ぅ」
 誰もいない、と思った瞬間胃が痙攣するように蠢いた。
 昼時で胃の中は空、どうせリバースするものもたいしてないだろう、と鈍い頭を回して流し台に駆け寄る。
 ステンレスに水滴が煌いて、排水溝の黒い穴が俺を笑った。流しに頭を突っ込みながら片手で蛇口を思い切りひねる。
 激しい水音が耳を痺れさせて、何故かほっとした。

 いったん吐いてしまえば、あとは楽になることの方が多いと経験からわかっている。
 保健室なだけに清潔なタオルが積んであって、遠慮なく借りて顔を拭った。
 流し台で光を弾く水滴を見る。固形物が底を汚していないことを確認して水を止める。
 水音が途絶えると急に静寂が戻って、遠い体育館の喧騒ももちろん聞こえない。
「……寝るかな」
 本当ならなにか食べなきゃまずいことはわかってるけど、その気にならなかった。
 二つあるベッドのうち空いているほうに座る。養護教諭がいないから言い訳を考える必要もない、と思えばベッドはとても魅力的なものに思えた。昼寝の誘惑には逆らいがたい。自分が思っている以上に、バスケは弱った体にはきつかったらしい。
 ガサゴソと布団の隙間に入り込んで周囲のカーテンを引く。
 隣のベッドからは物音一つしなかった。
 二志は俺がゲロゲロガエルをやっている時も綺麗に無視してくれたらしい。
 有難いと思うべきなのか、冷たいと思うべきなのか。どうでもいいやと思いながら枕に頭を埋める。かさつくシーツの感触を睡魔が覆って、俺は目を閉じた。


 久しぶりに夢もみないで眠った。
 起き上がると窓から夕陽が射していて、とっくに放課後になっていたことに気付く。
 寝過ごしたわ、とか寝ぼけたまま呟いて辺りを見回した。
 誰もいない。
 養護教諭の姿もなければ、隣のベッドもカーテンが開いていて、もぬけの殻だった。綺麗にメイキングされていて二志がどのくらいそこにいたのかもわからない。
「……」
 首を振って寝床を降りると、脇の椅子に俺の鞄と制服一式がまとめて置いてあった。
 ご親切に。
 起こしてくれていいのに、とぼんやり考えて、上靴の踵を踏んで立ち上がった。
 すっかり慣れてしまった緩い立ちくらみをやり過ごして、シャツの上に学ランを羽織る。

 腹がもやもやする。
 空腹に似た感覚は久しぶりだった。
 帰りに十秒チャージでも買おう、そう思って俺は鞄を肩にかけた。

しまった、こいつら確かブレザー……!
そんなわけで、まだ仲良くなる前の手探りな二志と十一です。二志は、太郎には優しくしても十一を慰めたりは絶対しないと思う。
自分のことだけでいっぱいいっぱいだった頃の十一。ちょっと若い二志。という感じで。

これでも主役は二志だと言い張ります。本当です。途中から十一がでしゃばって来ただけで!
本当のこと言うと、跳ぶ太郎と手首の強い二志を書きたかっただけです。男子の体育っていいですよね。

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