residents-2 (06)
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5月22日──陰界・龍城路
失敗した。
錠前屋に会うまであれだけ龍城路を彷徨っていたというのに。
えび剥き屋の位置が判らない。
否。『えび剥き屋』とやらに俺はまだ会ってない。出逢ったのはそこの小僧だけだ。少なくとも、俺が歩いたところでは見なかった。
この龍城路には、まだ俺の行ってない横道が多分にあるに違いはしないが、これからその一つ一つを漁らねばならないのかと思うと、かなり気が重くなった。
錠前屋のある細道から少し歩いて出ると、そこそこ広い道に出くわす。どうも、これがつまり「龍城路」であり、主要の道よろしく、街を横断しているものらしい。
ふと、辺りを見回したとき、その奥、ちょうど錠前屋からまっすぐ(道の曲がりはあるにしろ、来た方から考えて一本道だった)の所に、光る筋が幾重かになっているのが目に入った。あそこには、まだ俺は足を踏み入れてない。えび剥き屋であることを祈りつつ、俺はそちらへと足を向けた。
だが。
そこにいたのは、どうにもけったいな人物だった。
向こうから見えた光の筋は、ただのチューブが光を反射していただけだった。あの瞬間は、イルミネーションかとも思えたのだが。
そのチューブは、目の前にいる奴に絡まり…まるで、意志があるかのように男の動きを封じるがごとく絡みつき、男をマリオネットたらしめている様だったが…ただ一つ違うのは。
「…なんだ、お前」どうも、そいつがマリオネットなどではないらしい事だった。俺の視線に気付き、鼻を一つ鳴らすと、そう言った。 あんた、何してるんだ―――そう言おうとして、やめた。この街で、人が何をしているのか詮索するのが、かなり無駄な行為に思えたからだ。
「道に、迷ったのさ」
「ふん、そうか」
男の目はうつろで、何かを映しているとも、映してないとも、見て取れない。目だけじゃない。表情が、顔全体から空虚が漂っていた。
何か、それこそぽっかり、全てが空いているような。
「なあ、あんた」
俺の違和感なんかお構いなしに、また、声をかけてきた。
声だけ聞けば、しっかりとしていそうな感じも受けるが、それも何かが違う。
「水銀、買わないか。安くしておく」
「水銀?」
て事はこいつは水銀屋って事らしい。それにしても、今時、水銀だって?
「何に使うんだ、そんなモン」
反射で訊いた俺に、憑かれたようにそいつは喋り出した。
「知らないのか、薬になるんだ。何にでも効く。特効薬なんだ」
阿呆な話だ。盲目的に信じられていた様な昔ならいざ知らず、今では水銀が身体に有毒なものだなんてのははっきりしている。体内に入れようものなら、ものの数分で死ぬのがオチだ。
…まさか。ふと、俺の脳裏に妙な考えが浮かんだ。陰界じゃ、これが効くのかもしれないと。
「…いくらだよ」
乗ってみることにした。幸い、金ならそこそこある。だが、そう口にしてからレートが判らない事に気付いた。気付いた所で、口に出した後じゃもう遅い。
…調子が狂いすぎている。こんなにも、俺は注意力も何もない奴だったか?
「一〇〇紙紮さ」
高いのか、安いのか、見事なまでにちっとも判らない。
自分の手持ちと比較して、大した量じゃあないらしい、という推論しか立たない。
「確かに」
俺が紙紮を渡すと、水銀屋はぺらぺらと勘定し、水銀の入った小瓶を渡した。
五センチ程の瓶に、銀色の液体が揺れている。まがい物ではないらしい。これだけの容積のくせに、やけに、重い。
「それが最後の一つなんだ」訊きもしないのに、水銀屋が喋り出した。「特別だ」
「そりゃ、どうも」
空虚な顔に何の表情も浮かべない奴に、礼を言っても暖簾に腕押しな気分だ。面白くも何ともない。
振り向き、元来た道に行こうとして、ふと、水銀屋を振り返った。
「…何だ?」
「あ、いや」
自分でもよくわからない。何故、こいつを振り返ったのか。
じゃあ、と口の中だけでいうと、元の道へ戻っていった。
「遅かったね」
「まあな」
水銀屋からあの広い道に出ようとした所に、小さな、それこそ見失いそうな細道があった。
そこをのぞき込み、足を踏み入れたところに、えび剥き屋の餓鬼がいた。水銀屋まで行ったのは、どうやら無駄足にならなかったようだ。
「あれ、それ」
俺の持っていた小瓶…手に持って、揺らしながら歩いていた…を見て、小首を傾げた。
「それ、水銀屋から買ったのか?」
「ん、ああ、…らしい、な」
「なんだよ、らしいって」
「成り行きというか、何というか」
「わけわかんねぇな」
全くだ。
「あいつ、まだ水銀が『薬』だと思ってるんだ。…効きゃしないのに」
やっぱり、その辺の常識は通じるのか。疑問がひとつだけ解けた。解けたが、買い損の気分まで一緒にやってきたが。
「なぁ、お前、一人で店やってんのか?」
「いや、親父がやってるぜ。俺は手伝い」にかっ、と笑う。「今度、余ったらあんたにも剥きえびやるよ」
何たって、退魔の効果があるからな。
そう言ってまた笑うが、俺にはその辺もまた信じられない。話題を変えた。
「重慶花園ってのは、この奥か?」
「ああ、あのシャッターの向こうさ」
そう言って指さした先に、確かに薄汚れたシャッターがあった。ある種、いかにも、な空気が漂っている。
「気をつけろよ」
「ああ、サンキュ」
手を振ってやって、俺はシャッターに向かった。