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5月22日──陰界・重慶花園

 コンクリート打ちっ放しの壁が、反響する足音が、そこを歩く俺に威圧感を与える。
 だが、どこかでそんな風景を見た事のある気がして、ふと、辺りを見回した。
 …そうだ。一つだけ心当たりがある。
 慣れ親しんだ、あの部屋。特に過ごしやすいとも生活しやすいとも言えなかったが、十数年と暮らしてきた、あの部屋。あそこはこんな風にコンクリむき出しで、調度品もほとんどなく、まさに、こんな感じだった。
 なるほど、圧迫感、ね。
 前に花蘭がなんやかや文句を言っていたのが、少し判った気がした。こんなところで陰界に妙な親近感を覚える。
 それはそうとして。
「…鏡屋ってのが、どこにいるって?」
 また、とりあえず歩いて頭ん中にまず地図作れってか? 冗談じゃない。
 重慶花園に来てすぐ、また問題にぶち当たった。要するに、俺は陰界の地理にはとんと疎いということだ。
 これからどこの街に行くにしろ、この問題は金魚の糞よろしくついてくるに違いない。
「…仕方ない」
 とりあえず、歩くことにした。それしかする事がなかった、と言うのが正しいか。
 少し歩いていると、階段のあるホールに出た。表示によると、俺がいるところはどうやら2Fらしい。そういえば、確かにえび剥き屋に行く時に緩い坂を上った気がする。
 下から行こうか、上から行こうか。
「…かったるい」
 ここに来てからの俺は、どうもいつも以上に文句が多い。慣れない環境で戸惑っているのか…俺が?
 自分で辿り着いたその答えこそが、俺にとっては驚愕に値した。
 大体どこでも自分のペースなんざ崩さずに──俺を押さえつけようとする奴は、いつもその俺の態度の所為で失敗していた──やってきた俺にとって、これだけ調子が狂うのは全体未聞だ。
「たまんねぇよなぁ…」
 一人でいると愚痴っぽくなると言うが、今の俺の状態などまさしくその典型だろう。
 ふと、また思い出した。愛萍の俺分析。

 『全く、文句で生きてるの? あなたは』

 話していても、妙な理屈をこねたりしてまともに聞きゃあしないのに業を煮やして、あいつがぼそっと呟いたんだったか。
 確かその後、口論になって…数日彼女が口をきかなかったのを覚えてる。
 文句で生きてるのを自負してる訳じゃあないが、ここに来てから俺は愚痴しか言っていない気がする。
「仕方ねぇか」
 場所が場所だ。やることなすこと、妙なことがついてまわってくる。気が滅入っても、おかしくはないだろう。何でもいい。とにかく、気を紛らわしたい。
 手近なところから回って行くことに決めた。
 幸い、この建物は3階建てでそう高くない。階段の上り下りも、面倒、と言うよりは致し方ない、で済ませられそうだ。
 背負っていたナップザック──使い古しの、ずた袋にしか見えないこともない様な薄汚れた代物だがなかなか使い勝手はいい──をまさぐる。そして、向こうで貰ったスコープを取り出し、装着(つ)けた。
 因みに、利き目である左ではなく、右目にだ。そうしないと、歩きづらい(と、昔貰った古いタイプの取説には載っていたらしい。俺は確認してないが、周りの連中が言っていた)。
 ごついモノクル、と言えば多少聞こえはいいが、こんなものつけて歩いてる奴とは、(少なくとも俺は)お友達にはなりたくない。ただの怪しい、どっかにトリップした兄ちゃんにしか見えない。さもなきゃ頭のおかしいコスプレ野郎だ。
 これの作用も作用だが、見た目にも、あんまり尋常とは言えないだろう。
 目許を覆い隠すそれのスイッチを入れる。小さく起動音がした後、俺の視線とセンサーを合致させたらしい合図がした。これで、俺の視線に合わせてスコープが邪気をとらえていく。
 新型のこれと、俺の持っている旧型のと、どうも操作に大した差がないらしいのが救いだ。愛萍に偉そうに言った手前、こんなもんで戸惑うのも莫迦らしい。
 ぐるりと部屋を見回し、それらしき気の流れを…スコープを使えば、乱れているところは色が違って見えるから、邪気も見えるとは思うが…探すことにした。
「…いきなりか?」
 左手前方。うっすらとだが、澱んでいる箇所がある。
 早速はないだろう、全く。
 ひとりごちたところで応えがないの位百も承知だ。面倒くさいが仕方ない。そこに浄化するものがあれば、それを行い気を整えるのが、俺の仕事だ。
 無理矢理自分を納得させて、向こうに足を向けた。そちらに向けて歩いて行くにつれ、だんだん澱みが濃くなっていく。
 スコープが、俺に注意を促す表示を出した。
『左75°距離5m弱 澱みの中心を察知』
 …こんな便利機能、俺のには、ない。
 俺よりもキャリアの長そうな―――滅多に出向くことのない奴らにばかり、こんな良いものが支給されているこの状況に何となく嫌気がさした。…ともあれ、そんな奴らが出向くのはよっぽどのことなのだから仕方ない気も多少はするが。
 スコープの示した先には、小さな部屋があった。多分、距離と部屋の大きさから推測するに、一番角の方でつらつらと邪気でも発しているんだろう。そして、その元を絶つのが俺の役目だ。
 ドアノブに手をかける。
 軽くひねって、引いた途端、邪気が吹き出してきた。
 防ぐ間もなく、“俺”が取り込まれていく。
 まとわりつく、からめ取られる、染み込んでゆく…。

「邪気は、人にも憑く」
 歩きかかった俺に、錠前屋は言った。
「憑かれた人間は、妄人になる」
「妄人?」
 耳慣れない言葉に、振り向き、錠前屋の次の台詞を待った。
「モノになるんだ」
 ぼそっと、呟くように、言葉を吐き出した。
「あんたも、気をつけると良い。邪気に、取り憑かれないように」

『自分をしっかり持つんだ』
 それが、錠前屋の言った対処方法。
 俺は俺であると。他の誰でもない、俺自身なのだと、そう、認識すること。
 ふと、辺りの気が和らいだ。
 俺を纏っていた邪気がやんわりと薄れる。その間をぬって、俺は前へと進む。

 そこに、鬼律が、いた。

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