銭湯にて
数分歩いて近所の煙突がそびえる建物にたどり着く。
壁に貼られた薄汚れた「ゆ」の文字は縦の線だけはがれてて色がない。そんなのを眺めながら駐車場を通り過ぎて中に入って行った。
扉を引き開くと、目の前の番台に座ってる顔が、珍しくいつもと違っていることに気が付いた。
「――いらっしゃい」
でかい図体で番台に収まっている玄は、いつもの無表情でこっちを見た。
「…な、なにしてんの?」
「バイト」
「……せんとうで?」
無言で頷く。
「…来てる」
浴場を指差され、さらに困惑が深まる。
「え、なにが?」
女湯の方に客が来たらしく、のっそりと頭を下げて玄は金を受け取っている。俺はわけがわからないまま、番台に390円置いた。
「……ごゆっくり」
どっちに向かって言ったんだか分からない玄の声を背中で受け止め、脱衣場に向かう。
昔ながらの鄙びた浴場を覗くと、奥の洗い場に見慣れた顔を二つ見つけた。
「やめたって! これ以上はもう――ぎぃやあああ!」
泡だらけの頭で座っている十一と、その頭をわし掴んでツボ攻撃をしているらしい二志。当然ながらどちらも全裸だ。
二人からなるべく距離をとって隅っこに陣取ろうとすると、俺に気付いた二志がわずかに眉をひそめた。
「……大成、お前なぜ離れる」
「や、な、なぜって」
「ちょうどいい、洗髪サービス中だ」
「ば、ばか!大成逃げろ!」
ずずいと寄ってこようとする二志の横から、意識を取り戻したらしい十一が叫んだ。
思わず腰を浮かせると、二志の顔がさらにしかめられたのが目に映った。
やばい。なんだか知らんが謎の一大クライシスが俺の身に迫っている。
「ま、待て!落ち着け!パス!俺はパス!」
「遠慮か。珍しい」
「いや!実は今日床屋行って来たんだ!髪は綺麗なんだ!湯船につかるだけなんだ!」
とにかく嘘八百並べながら、じりじりと後退する。
「怪しいな」
「そんな素晴らしいサービスは他の奴にやってやれよ!マジで!」
わきわきと蠢かせていた指を止めて、二志はじっと俺を見た。
「…他を待つか」
え、と安堵と共に不審を覚えて首を傾げると、不意に地響きに似た足音が脱衣所から響いてきた。
「――ん。来たんじゃねえ」
「来たな」
地響きの原因を知っているらしい十一は、そそくさとシャンプーを洗い流しながら呟いた。二志も同意する。
派手な物音と共に入り口の扉が開かれ、飛び込んできた人物が叫んだ。
「ぬおおお落ちたあ!」
「目出度いな。30回記念だ」
「ぷ。似合うぞその頭」
「え?」
突然現れた坊主頭は、でも玄ではない。駆け寄ってきた見慣れたでかい図体は――
「た、たろ!?」
「大成ー!聞いてくれ!聞いてくれよ!バリカンだよ!おかしいんだよ、これ!いじめだ!陰謀だ!」
「だから、その頭いったい―――」
「いや、30回も落ちたら記念に坊主にしようぜって、賭けてたんだよ。こいつこれで30回だから。ぎゃはは」
要領を得ない太郎に代わって、十一が説明した。
「うっせー、笑うな!あー、頭スースーするよぉ……」
「まぁ……、似合ってるぞ?青々として」
しゃがみこんでしおれてしまった太郎に、フォローしてみる。
――あれ?何か、おかしい。本能が危険信号を灯して、俺に何かを警告しているような…?
「ところで、太郎」
二志が冷静な声をあげる。
「大成の足をつかめ」
しまった、と思った瞬間に、反射で伸びたらしい太郎の腕が俺の膝をがっちり抱え込んだ。
「のわっ!?」
「でかした」
気付けば二志の手には湯をたっぷりと満たしたケロヨン洗面器があった。
どばー、とそれを頭にぶっかけられる。
「ぁああ!?」
俺は悲鳴を上げながら太郎の腕から抜こうと足を蹴り上げた。
「ばかたろ、手離せっ!」
「離すなよ」
二志の声の方が強いらしい。腕は緩まず、俺はバランスを崩して倒れそうになって目の前の太郎の坊主頭にしがみついた。
「は、はなせ!いやー!だれか!」
「すまない大成…俺にはどうすることもできない」
よよよ、とわざとらしく涙を流しながら、横から伸びてきた十一の手が俺の肩にかかる。
「十一てめ!」
力を込めて肩を押し下げられて、じりじりと低い姿勢をとらされた俺の頭にシャンプーの液を直に垂らされている気色悪い感触がした。無理。無理だ。こればっかりは耐えられそうもない。
と、ちゃぷんという微かな音と共に湯船から誰かがあがってきた。
見れば面子のもう一人が湯気を立てながら歩いてくる。
「ろ、浪人!頼むお願いだからたすけて」
「え?」
驚いたように、裸でこんがらがった俺たちを見つめた一伊に、一縷の望みをかけて呼びかける。
「にしを、とめてくれ、ろ…一伊。無理なら代わってくれ!」
一伊のわき腹に薄く残った傷痕が見える。そうだ、俺たちは強い絆で結ばれて――
「す、すいません」
謝られた。
「あの、俺、もう髪洗っちゃったんで」
目を伏せて辛そうに首を振ると、湯上り一伊はさっさと脱衣場へ消えていった。
「―――ま、」
って、とは言えなかった。上から落ちてきた二志の男にしては綺麗な指が、俺のこめかみにがっちりと添えられる。
「さあ、洗髪の時間だ」
「お!?良かったな大成!」
「ほんとすまん、俺にもっと力があれば…!」
「いっぃあああああああ!」
古びた銭湯の富士山の絵に、俺の絶叫が響き渡った。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「っていう初夢だったんだけど」
「うーん…ま、富士山は登場したわけだ」
新年早々の悪夢を正夢にしまじ、と呼び出した十一に早速聞いてもらっていた。
「いんじゃね?たぶん。縁起的には?」
暢気に答える十一の顔に、ふと殺意を覚える。
「そういや、お前…裏切りやがって」
「え!?あたい夢の中の行動にまで責任持てないわよ!」
―――完。
楽園行オープニングより、日常なあいつら初夢編。楽園後の設定ですが(一伊撃たれ組)
読むときのポイントは絵面を想像しないことです。うっかりイメージしちゃうととても気持ちが悪くなることうけあいです。
悩んだのは、「15Rってどのくらい?」という点でした。いやあ…だいじょうぶ、ですよね?