introduction-2 (02)
introduction-2
5月21日──陽界・香港最高風水会議
「お久しぶり」
「ああ」
接見部屋を出たところに、愛萍は立っていた。
彼女は、幹部連中からも一目置かれる、風水会議のスタッフの一人だ。言い換えれば、有能な秘書、とでも言ったところか。
後でこちらから行こうと思っていたところだ。丁度いい。
「それで」早いとこ切り上げたかった。この状況、なんとなくバツが悪い。「必要な物って、何なんだ」
「風水スコープをね、預かったの」
言って、俺に差し出した。
蟠る邪気の澱みをよりはっきりと視神経に伝えるための道具(アイテム)。
多少、疑問が湧かなくもない。
「陰界でも使えるのか、これ」
「多分、ね」
「アバウトなこって」
渡されたそれを、しげしげと眺めてみる。
「…へぇ、最新型だ」
一応、俺の身を多少は案じていてくれているらしい。
渡されたそれは、超級風水師の間でも全員には渡っていない…要するに、俺がまだ一度も使ったことのないタイプだった。
「使い方は、解って?」
からかうように、愛萍が尋ねた。
「俺の特技、忘れたのか。こういうのは勘で何とかなる」
「…あなたも、随分アバウトね」
「勘ってのはな、理論と実績に裏付けされた、立派な能力の一つなんだ」
もっとも、これは俺のオリジナルの論理じゃないが。
「ご立派な意見ですこと」彼女は肩を竦めると、今度は紙切れのような物を取り出した。
「何だ、こりゃ。葬式用の札じゃないか」訝しむ俺に「向こうでの立派な通貨なのよ。紙紮は」そう愛萍は答えた。
ぺらっちい紙を括った束が8つばかし。只その一つ一つは結構分厚い。向こうでのレートが判らない以上、備えあれば憂いなし、ということか。
多少、この嵩張りが邪魔ではあるが。
「準備のよろしいことで」それだけ言って、懐にしまった。
「…ねぇ」
突然見せた、真摯な瞳。
今までの会話では見せていない、真面目な。
「気を、付けてね」
「へぇ」
驚きだ。彼女が、素直にこんな台詞を口にするとは。
「何だ、心配してくれるのか。…昔の男の事」
「茶化さないで」
からかい気味に言った俺に、一言だけ、きっぱりと、そういった。
そう窘(たしな)める表情は、相変わらずだ。
「行ってみないことには、なにもな。判らんだろ」
「あなた昔からそう」
腕組みして、愛萍は俺を睨みあげた。
「行き当たりばったり。
面倒臭いことが大嫌い。
人の言う事なんて何も聞いてないような顔して、その実、しっかり覚えてる。
横からごちゃごちゃ言われるのがイヤ。
来る者拒まず去る者追わずの典型。
何にも考えてないフリしておいて、先の先まで予測してる」
俺を指さすと、彼女は一息にそう言ってのけた。
顔に、知らず苦笑が浮かんだ。
「…誉めてるのか、貶してるのか、判らないが」
俺は知っている。
彼女が俺に対して、素直に誉めやしない事。
いつも遠回し遠回しに、俺をつけあがらせるのが厭なのか、率直な感想を述べない。
もしかすると、ただ姉貴風を…実際、彼女は俺よりも五つばかし上だ…吹かしたかっただけかも知れないが。
「まあいいさ」
眉根を寄せたままの愛萍に、笑いかける。
「多分、君の俺分析は正しいんだろうな」
「それなりに、付き合いは長かったんですからね」
「全くだ」
しばらく、場に沈黙が落ちた。
それを破ったのは、以外にも愛萍だった。
「…いつ行くの」
「明日」
「…そう」
それだけ。
他に何も言えない。言う必要もない。
彼女には関係ないことだ。
そして多分、俺にも。
…確かに俺は九龍城行きを命じられた。実質動かなければならないのも、俺だ。
けれど。
何かが違う。
それが何なのかは判らない。けれども、俺は第三者でしかない。そんな気がする。
俺はただの駒なのか。操られ、捨てられる、ただの…。
「どうかした?」
「あ…いや」
もうやめよう。考えていても仕方ない。
全ては、陰界に行ってからだ。
軽く頭を振って、考えを追い出す。
「もう、行くよ」
またな。
言って、立ち去ろうとした俺に「…待って」声がかかった。
「ひとつだけ」
真摯な目。
「小さな問題は、必ず、大きな摂理へと繋がっている…」
せつり、へ。
「覚えておいて。いいわね」
ふわり、と風が動いて。
気付けば、愛萍は俺の腕の中にいた。
「間違わないで…」
俺を、その目で見つめた。
「あなたの、道を」
おれの、みち、だって?
「おい、一体何…」
言いかけた途端、彼女の体が離れた。
そのまま、小走りに去っていった。
「あいつ…」
俺はしばらく、そのまま立ち竦んでいた。