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restraint (10)

restraint

5月22日──陰界・重慶花園

 扉の向こうから妙な男の声がしたら、普通は逃げる。
 少なくとも俺は、絶対逃げる。
 むしろ、逃げた。
 多分相手はそれをしっかり察知したのだろう。
「待ってくれ、頼む、待っていてくれ。捕まってしまっただけなんだ。君を捕まえるつもりはないんだ」
 錯乱してるのか、話し方はおかしいし、声も焦っている。
 …いや、声が焦ってるのは俺の所為か。
「…あんた、誰だ」
「鏡屋だ。龍城路で鏡を売っている」
 この言葉が、俺の耳には天使のささやきにこそ感じられた。
 そうか、こいつが。
「あんたがそうなのか。捜してたんだ」
 やっとこれでこの胡同からおさらば出来る。
 そんな俺の安堵を、鏡屋は言葉だけで萎えさせていった。
「そうか。俺は捜されていたのか」第一声から、これだ。「捜しているつもりだったのだが」
 …平気なのか、こいつ。
 ひしひしと、嫌な予感を感じた。それを振り払うかのように、俺は言葉を続ける。
「待ってろ、今、開け…」
「無理だろう。鬼律は戻したのか?」
「…どれのことだ」
 鬼律なら、さんざか物に戻してきた。
 今更そう云われたところで、鏡屋の云う鬼律がどれかなんて、判るはずもない。
「扉は、バチバチしてはいないか?」
「この扉か?」
 …静電気でも発生してるってのか? …だとしたら、あまり触りたくは無いが…仕方ない。
 おそるおそる触ってみたが、別段どうということはない。普通のノブだ。ただ。
「…鍵がかかってるくらいだ。こんなもの、壊せばすぐ」
「鍵はあるんだ」
「なら、とっとと出てくればいいだろう」
「違うんだ、俺が持って居るんじゃない。鬼律が取っていってしまったんだ。だから俺は出られない」
「鍵を落とした鬼律は知らないが」
「鍵は隣の部屋にある」
 ……回りくどい……。
 頭を抱えた。
 …どうして、陰界の住人てのはこう…。
 花蘭より性質の悪い人間にこうも出くわすなんて、思いもしなかった。
「順序立ててから、一遍に話してもらえないか」
 そういうと鏡屋は、待ってましたとばかりに話し出した。ただ、口調はあくまでも、穏和で緩慢。
「俺は鬼律に捕まってしまったんだ。鬼律は俺を動けないようにしてからご丁寧に鍵をかけて、しかも隣の部屋にその鍵を置いていってしまった。そうしてから自らの邪気でそこの扉を封印した。だから俺が助かるためには俺の戒めを解いてもらう必要があって、解いてもらうにはこの部屋の鍵が必要で、この部屋の鍵」
「判った、判った」
 正攻法は通用しない。そう、痛感した。
 なら、どうとでもなれ。適当に。そう、適当だ。
 適して当たり前。なんて素敵な言葉なんだろう。
「つまりバチバチしてるってのは邪気の事で、だから向こうの扉を調べれば良いんだな」
「そう云うことになるな」
 だから、どうして、この説明で判るんだ。
 今、俺はまともな文章を喋ったと思ってない。順序立ても、接続詞だって間違ってる。
 なのにどうしてこいつはそれで理解するんだ!!
「………待ってろ。向こうを見てくる」
 とりあえず、一切合切諦めてみることにした。
 妥協が美徳か。まったく、冗談じゃない。

「いや、助かった」
 鏡屋はにこやかにそう云った。横で俺が疲れた顔をしてるってのに、まったくお構いなしだ。
 観音開きの扉が開くと、鏡屋の顔が出てきた。
 顔の横にはちびた蝋燭が2本。仏壇をすっぽり被った様な風体に出くわしたというのに、もう、大して疲れる気も起きなかった。慣れか。
 そうとも。これはなんということもない事なのだ。なにせ、ここは陰界なのだから。
「君は、風水師なのか?」
「一応な」
 例えば今頃会議から除名されていたとしても、俺がその辞令を聞いていない限り、一応は“職業・風水師”であるのだろう。
 尤も、陰界に来た時点で、陽界での“俺”なんかなんの意味も為さないのかも知れないが。
「ならば、これを渡さなければならないな」
 そう云って鏡屋、八宝刀よりは多少小振りな、しかし、酷似した「七宝刀だ」それを懐から取り出すと、俺に差し出した。
 受け取り、グリップを確認するように、掌で転がしてみる。
 何のことはない作業。
 ただ、なんとなくそれが必要な気がして、まるで慣れ親しんだ様に、七宝刀を握りしめたり、手を移し替えたりしていた。
 無意識に。操られるように。けれどそれにも大して気付かずに。
「それなら、邪気を吸うことも出来る。八宝刀では、放出するだけだっただろう?」
 ああ、と生返事を返しながらも、俺の視線は七宝刀に注がれていた。
 自身の何かが、吸い込まれているような妙な感覚。
 けれど、どこか、懐かしいような。
「それを使って、この辺りの邪気を元に戻してくれないか?」
「俺が?」
「そうとも」
 なぜなら。
 鏡屋はそう前置きしてから、幾度と無く聞いたあのセリフを、言い聞かせるように俺に云うのだ。
「君は風水師なんだろう?」

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