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2004年05月09日

0012-01

 涙が止まらない。
 泣こうとしている訳ではない。泣きたかった訳でもない。哀しい事も嬉しい事も無かった。それでも勝手に溢れてくる。喉は引き攣るしこめかみは痛むし鼻の奥が鳴る。
 涙が、止まらない。

 ──という、夢を、見た。

 上半身をベッドから起こした状態で茫とする。なんだ、今のは。頭を振ってから喉に手をやる。痛みは無い。夢につられて現実で泣き倒していたりはしていなかった様だ。
 漠然としたイメージだけが残っていて、その結果に至る理由ともいうべき部分が見事なまでに欠落している。なんともいえない後味の悪さ。そもそも夢で「泣いていた」のが「俺」なのかどうかもよく判らない。…なんなんだ、本当に。
 隣のベッドでは、チャクが相変わらず本にまみれて眠っていた。こいつはどうやら、就寝前に色んな活字を読み倒さなければ生きていけないらしい(まだ確認は取っていないが)。その対象は別に魔術書の類でなければならないという事はなく、単純な活字中毒の様だ。例えば俺が実家から持ってきていた何冊かの小説や、知らぬ間に荷物に入れられていたらしい冊子やなんか(恐らく家人が嫌がらせに入れたのだと思う)も、とうに餌食となっていた。今頃は奴のハードカバーの間にでも挟まっているのだろう。俺の本は元々読み倒しすぎていた本ではあったから手元にないこと自体は別に構いはしないのだが、あの扱いを見ると少々惜しい事をした気がしないでもない。
 顔、洗おう。出来ればシャワーが良いがそれは無理か。
 ベッドから這い出て、共有洗面所へと向かった。冒険者専用の木賃宿は、宿代が格安な分、そういった住みやすさ(アメニティ)部分については、制限が多いのだ。

「今日はどうしようか。んでも今日って云うか、今後かなぁ。昨日晩ご飯の時にさ、廻りのひとが喋ってんの聞いたんだけどね」
 ボンゴレの皿をつっつきつっつきチャクが云う。木賃宿でも基本的な朝飯を食う事は出来る(昼・夜は無い)が、俺達はいつも外に出て食べていた。勿論その方が旨いからというのもあるが、半ば観光も兼ねている。今日の様に屋根を構えた店に入る事もあれば、屋台で済ます事もある。
 一旦紅茶をひとくち啜り、チャクは喋々を再開した。
「テュパンってやっぱり人の流れが多いからなのか、辺りに出てくる亜獣もそんなに強くないらしいんだよね。んとねぇ、こう、他の勢力に負けてやってきたのが、この辺ならだいじょぶかな~みたいな感じで集まってるんじゃとかって云ってたけど」
「誰が?」
「近くでお酒飲んでたひとたち。けっこ色んなとこ行ってるっぽくてねぇ、どこどこがああであれそれがどうでって話をすごく自慢気にしてたんだ。またでっかい声で。多分いっしょにいた女の人口説いてたんじゃない? そんな血生臭い話で口説こうっていうのもなんかおかしいよねぇ」
「そういうのに酔う女が居てもおかしくはないが」
 云いながら、チャクの皿からボンゴレを少し拝借した。…この店、ドリア(俺が頼んだ)はいまいちだがパスタは旨い。次からはそっち側だな。
「ええ~。ぼくだったらやっぱりこうどんな凄いのを召喚したかっていうような」
 どっちもどっちだ。
「…で、チャクとしては余所で腕試しがしたいって事か?」
「うん。もうちょっとテュパンに居ても良いかなあと思ってたんだけど、そういう話聞いちゃうとどの位違うのか、ガゼン興味が湧いてくるよね」
 同意を求められても、俺には取り敢えずそんな欲望は沸かないんだが。
「まぁ、それじゃ今日もう一度何か依頼でもこなして…そうしたら、テュパンを起つか」
「そうだね。そうしようか。んじゃさっきのボンゴレの分、ぼくにもドリア頂戴?」

0012-02 (0024)

「まだ昨日のモルド狩りが残ってるな」
 掲示板に貼り付けられているメモを取ろうとした俺の腕を、チャクがはっしと止めた。
「…なんだ」
「その“モルド”ってなに?」
 成程、昨日の蚊で懲りたのか。
 メモを取って、内容に目をやる。これには勿論、あまり詳細な情報までは書かれていないが。
「このメモ書きを信じるなら、“テュパン東で数を増やしつつある化物”らしいな。虫の類かはどうかまでは判らない。──ん、これ討伐隊ってことは、集団行動か? 依頼主も五王朝の士団なのか。…面倒そうだな」
「んんんん~」
 長考に入ったらしいチャクに、確認を取る。
「どうする? どうやら集団行動らしいから、お前いつものように好き勝手は出来なさそうだが」
「ひどいなぁ~。ぼくだってやんなきゃなんないときくらいちゃんとするよ。…でもねぇ」
 どうやらよほど蚊の悪夢は奴にとって厳しかったらしい。少し、助け船を出すか。
「昨日の蚊の様に簡単に形状を分類出来るのなら、“化物”とは書かないんじゃないか」
 俺の勝手な推測だが。付け加えた言葉を聞いていたのか否か、チャクはぱあっと喜色を浮かべた。
「そぉうだよね! ん! ユキヤくんいいこと云うなぁ! じゃあぼく申し込んじゃってこようかなっ」
 俺の手からメモを奪って、受付へと勝手に向かうチャク。現金な。
 例えば、化物の脚だけが節足動物のそれだとか、小さいサイズで群れて現れるとかってこともあり得ない話じゃないだろうが、いちいち水を差す必要もないだろう。せっかく乗り気になったんだ。利用させて貰った方がいい。
 ……奴と付き合い初めてからこっち、段々腹黒くなってないか、俺。

0012-03 (0025)

「我々の目的はモルドと名付けられた粘塊質の物体の討伐である。討伐とはいえ、駆逐が最大目標であるが、現状それらは胞子による繁殖を行い、どんどんとその数を増やしている為にそれは困難の様相を呈する。モルドが、驚異的な繁殖スピードもさることながら人を襲うという性質を持つ以上、我々としてもおいそれと見過ごすわけには行かないが為に、今回諸君等の助勢を得る事となり──」
 云々。討伐隊の隊長様とやらの有難いお言葉が延々と続く。
 つまり要約するとこうだ。テュパンの街から東へと伸びる大街道、それと平行して現れる森林地帯、その中に棲み付き増殖を繰り返す粘塊質、モルド。これを出来るだけ叩きたい。
「ん~、胞子ってことは細胞分裂で増えるタイプじゃないんだ。良かったよねそっちで。分裂で増えるタイプなんて云われたら、打撃なんて全然出来ないもんね。殴るたんびに新しくなっちゃうし。一個ずつ焼くか凍らすかしないと倒せなかっただろうし」
 まったく良かったよねぇ。良いわけあるか。
 隊長殿の声を邪魔しない様呟かれたチャクの声にこれまた小声で返した頃、有難いお言葉は漸く終盤に差し掛かったらしかった。

 モルドが現れた際には出来るだけダメージを与えながらも、自らの身を最優先とすべし。そう締めくくられた後、俺達(全部で数十人の、小隊規模だ)は、さらに数人ずつのグループを組んだ後、森林内部へとばらけた。ばらけたとはいえ、声さえ張り上げれば十分連絡の取れる間隔しか空いていない。モルドを発見したらば、或いは誰かに何かあったらば、即座に廻りの人間がフォローに走れる様にだ。
「んね、ぼく重大な事実に気付いたんだけど」
 辺りに警戒の視線を向けながら、チャクがぽつり、口を開いた。俺は黙って、先を促す。
「ひょっとしてさ。──今日って、野宿?」
「だろうな」
 訝しげに声のトーンを落として訊いてきたチャクに、俺はあっさりと返した。今更何を云うのか。そんなもの、依頼書に書かれていた拘束時間を考えれば判る筈だ。
 しかし、その簡単に判る筈のものを、こいつは見事に見逃していたのだろう。ええええ~と不満げな声を上げた。
「ぼく今日本一冊も持ってきてないよ。んも~。失敗したなぁ~」
 ……どうやら、本が無くても(少なくとも)死にはしないらしい。
「お前、どうして毎晩あんなにしてから寝るんだ? 持ち運びの点から考えたって、あれだけの本、嵩張るだけで良い事は何もないだろうに」
「ん~、そうなんだけどねぇ、どうもぼくは」
 居たぞ! 群れだ!! 突然上がった叫び声に中断される。
「まぁ、そのうち訊かせてくれ」
「別におもしろいのでもないと思うけど、いいよ。そのうちね~」
 チャクは杖を構え、俺は脇差(先般市場で手に入れた)をいつでも抜ける様柄を握り、そして声の方へと走った。

 モルドは、確かに耐久性はない。一度ダメージを入れてしまえば、その動きを止める。だが。
「んも~、これやっぱり蒸発させないとダメ?」
 チャクの雷鳴召喚(コールライトニング)で飛び散った破片から。脇差に付いた僅かな液体部分を振り払った先の地面から。そいつらは、集約してまた1つに固まっていく。

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